スルタン=ハッサンモスク
エジプト カイロ
1985.7.24/渡部 瞭
エジプトの首都カイロは、古代エジプト時代から下エジプトの首都であった。市東部のモカッタムの丘からスルタン=ハッサンモスクを隔てて見るカイロ市街は、全体に茶色っぽい。
アスワンハイダムとナセル湖
エジプト アスワン
1985.7.25/渡部 瞭
1960年から10年の歳月をかけ、ソ連の援助で造られた3600m幅という巨大なアスワンハイダムは、上流の遺跡を沈め、下流では灌漑用水確保の他、病害虫の増加や塩化など功罪相半ばするといわれる。
スイカ・メロンの露店
エジプト アスワン
1985.7.25/渡部 瞭
北回帰線直下のアスワンの夏は暑い。日中の気温は45℃を越し、さすがに人通りは少ない。そんな中でスイカ・メロンの露店が店を広げていて、なぜかほっとさせられる。
飲料水の水瓶
エジプト アスワン
1985.7.25/渡部 瞭
アスワンの市街のそこここに飲料水の水瓶が設置されているのを見かけた。素焼きなので表面まで水が滲み出し、気化熱を奪うので中の水は冷たい。
灌漑井戸車
エジプト ダラヴ
1985.7.25/渡部 瞭
ナイル本流から幅数10mの幹線水路に分水された水は、大型電動ポンプで幅数mの用水路に揚水され、さらに小型ディーゼルポンプで1m幅の支線水路に導かれる。各耕地にはロバや牛が廻す灌漑井戸車で汲み上げられる。
アルファルファ
エジプト エタップ
1985.7.25/渡部 瞭
ナイル沿岸の耕地には、かなり多種類の農作物が栽培されている。オクラやゴマといった我々にもなじみ深いものも多いが、レンズマメなど日本では見られないものもある。これは豆科の牧草アルファルファ。
ナツメヤシの実
エジプト メンフィス
1985.7.27/渡部 瞭
ナツメヤシは、西アジアから北アフリカにかけてみられる。果実はナツメ形をしていて房状になる。これはまだ未成熟の青い実で、オレンジ色から臙脂色に熟する。若いうちは渋く、熟すと甘くなる。
パンを焼く
エジプト アルギーザ
1985.7.27/渡部 瞭
エジプト人の主食は円形の薄手のパンが代表的だ。フールというソラマメを潰したものと共に紅茶で食べる。
綿の花
エジプト ナイルデルタ
1985.7.28/渡部 瞭
ナイルデルタは長繊維の良質な綿花の産地として有名だ。夏は開花期で、クリーム色のフヨウに似た花をつける。オレンジ色のものはしおれた花。綿花というのは実のことを指す。
灌漑井戸と水田
エジプト ナイルデルタ
1985.7.28/渡部 瞭
ナイルデルタはまた、水田耕作も盛んだ。1筆の水田は1ha以上もあり、日本のそれよりもかなり広い。灌漑には牛が廻す灌漑井戸が使われている。
鳩小屋と畜舎
エジプト ナイルデルタ
1985.7.28/渡部 瞭
エジプト人にとってのご馳走は、鳩料理だ。右手の筍状の白い建物は鳩小屋で、鳩が出入りする穴がいくつも開けられている。鳩小屋の形は様々で、変化に富んでいる。
アレクサンドリアの海水浴場
エジプト アレクサンドリア
1985.7.28/渡部 瞭
アレクサンドロス大王の建てたアレクサンドリアは、クレオパトラ時代の首都で、ローマ時代以降もグレコ=ローマン文化の担い手として発展した。市街に隣接する海水浴場には女性の姿は少ない。
スエズ運河を行くコンテナ船
エジプト カンタラ
1985.7.29/渡部 瞭
1959年から11年の工期でフランス人レセップスの手で開かれたスエズ運河は、ヨーロッパとアジアを結ぶ重要ポイントで、それだけに係争の地となってきた。
オアシス
エジプト シナイ半島
1985.7.29/渡部 瞭
スエズ運河をフェリーでわたり、シナイ半島を進むと、右手にこれぞオアシス!といった風情のナツメヤシの影を落とす水たまりが見えた。しかし、こんなオアシスは例外的なのだ。
砂沙漠
エジプト シナイ半島
1985.7.29/渡部 瞭
シナイ半島では、そこここに中東戦争の名残の放置された戦車などの兵器がころがっていた。この熱砂の中にもテント生活をする遊牧民もいるのだ。
エルサレム全景
ヨルダン西岸地区
1985.7.30/渡部 瞭
エルサレムの東方、聖書にも出てくるオリブ山から展望したエルサレム市街地の全景。中央の黄金のドームが「岩のドーム」で、内部にはアブラハムがイサクを横たえ、ムハンマドが昇天した岩がある。
ベドウィンのテント
イスラエル イェリコ街道
1985.7.31/渡部 瞭
海抜800mのエルサレムからマイナス400mの死海へ向かう途中、海抜0m標識のある付近で見かけたベドウィンのテント。かつては彼らにとって国境はあれどなきが如き存在だったが、今はそうも行かないらしい。
死海浮遊
イスラエル エンゲディ
1985.7.31/渡部 瞭
死海は世界の陸上では最低所にある塩水湖だ。水の出口はなく、蒸発するだけなので25%の塩分濃度を持ち、カナヅチでも浮くことができる。現在は供給水の減少で年々小さくなっている。
イェリコのゴーストタウン
ヨルダン西岸地区
1985.7.31/渡部 瞭
イェリコは世界最古の都市ともいわれる。古代イェリコの遺跡に隣接してこのゴーストタウンがある。住民はパレスティナ難民として流出してしまったのだ。
ヨルダン河谷の国境地帯
ヨルダン西岸地区
1985.7.31/渡部 瞭
ヨルダン地溝帯の底を、ガリラヤ湖から死海に向かって、蛇行しながらヨルダン川が流下する。対岸のヨルダン領には豊かな耕作風景も見られるが、手前は有刺鉄線が幾重にも張られた危険地帯だ。
保育園の核シェルター
イスラエル ティベリア近郊
1985.7.31/渡部 瞭
ガリラヤ湖を東方に望む高台にあるキブツ=ラビ(教師の意)のゲスト=ハウスに宿をとった。キブツ内の保育園にあったカラフルな滑り台。実は核シェルターの入り口を兼ねている。
キブツの住宅
イスラエル ティベリア近郊
1985.7.31/渡部 瞭
このキブツは、英国から帰還したオーソドックス派の住民によって構成される。住宅はなかなか瀟洒で、住み心地が良さそうだ。ゲスト=ハウスも快適に宿泊できた。
キブツの家畜囲い
イスラエル ティベリア近郊
1985.7.31/渡部 瞭
このキブツの主要産物はオリーブ・アボカド・メロン・グレープフルーツと、果樹園芸が中心だが250頭の乳牛と100万羽以上の鶏・七面鳥を飼育しているとのことだった。
ベドウィンのテント
イスラエル ヘプタペゴン
1985.8.1/渡部 瞭
イエス=キリストの伝道の舞台だったガリラヤ湖北西部は、イスラエルでは緑豊かな地域だ。ベドウィンのテントをここでも見た。テレビアンテナが立っているのが面白い。
丘上集落
イスラエル カナ近郊
1985.8.2/渡部 瞭
ガリラヤ湖からイエスが少年期を過ごしたナザレへ向かう途中で見た丘上集落。手前にはヒマワリの畑が見られる。
ハイファ港
イスラエル ハイファ
1985.8.2/渡部 瞭
ハイファはイスラエル北西部の港湾都市。石油積出港として知られるが、政情不安は暗い陰を落としている。それでも町中はなかなかにぎやかだ。
魚屋
イスラエル ハイファ
1985.8.2/渡部 瞭
ハイファはユダヤ人よりもパレスチナ人を多く見かける。イスラエルの都市は両者の棲み分けがかなりはっきりしていて、それがまた紛争の火種にもなる。
国連平和維持軍の車
イスラエル アッコ
1985.8.3/渡部 瞭
アッコ(アクレ)は、かつて十字軍が拠点としていた町で、彼らの砦の遺跡がある。レバノン国境にもほど近く、緊張が絶えない。国連平和維持軍の車を見かけた。
ダイヤモンド研磨
イスラエル ナタニヤ
1985.8.3/渡部 瞭
地中海沿岸の町ナタニヤは、比較的歴史の浅い小都市だ。海水浴場があるほか各種工業も見られる。なかでもダイヤモンド研磨では世界的に知られる。
テルアビブ市街
イスラエル テルアビブ
1985.8.3/渡部 瞭
テルアビブ=ヤッフォは、イスラエルきっての近代都市だ。経済・文化の中心としてだけではなく、実質上の首都の役割も担っている。ここはユダヤ人の都市で、「春の丘」というロマンチックな地名だ。
アテネ市街
ギリシャ アテネ
1985.8.4/渡部 瞭
ギリシャの首都アテネは、古代と現代が同居しているが、その中間は余り見あたらない都市だ。アテナイを祀るパルテノンがあるアクロポリスからギリシャ正教修道院があるリカビトスを望む。
アレオパゴスの遺跡
ギリシャ アテネ
1985.8.4/渡部 瞭
アクロポリスから古代ギリシャ民主政治の舞台アゴラとそれに隣接する評議所のおかれたアレオパゴスを見下ろしたところ。
コリント運河
ギリシャ コリント
1985.8.4/渡部 瞭
ペロポネソス半島に当たるコリント地峡には、古代から運河掘削の計画があったが、19世紀末になってようやく工事が行われた。なるほど、難工事だったに違いない。
オリーブ畑
ギリシャ エピダウロス
1985.8.4/渡部 瞭
ペロポネソス半島東岸斜面を埋める見事なオリーブ園。夏枯れの大地にオリーブの葉の緑が目にしみる。ギリシャのオリーブはことのほか緑の色が濃いように思われる。
大瓶を運ぶトラック
ギリシャ コリント
1985.8.4/渡部 瞭
何に使うのか不明だが、巨大な素焼きの瓶を満載したトラックに出会った。
エジプトバザール
トルコ イスタンブール
1985.8.5/渡部 瞭
イスタンブール旧市街の入り口にあるエジプトバザールは、日用雑貨から貴金属に至るまで、ありとあらゆる商店が並び、活気にあふれている。
イスタンブール新市街
トルコ イスタンブール
1985.8.6/渡部 瞭
ガラタ橋より北側に展開する新市街は、近代的なビル群が並び、ヨーロッパの市街地と変わらないたたずまいを見せる。
魚の水揚げ
トルコ イスタンブール
1985.8.6/渡部 瞭
ガラタ橋では横付けされた漁船から直接新鮮な魚を手に入れることができる。日本のアジによく似た魚が大量に水揚げされていた。塩焼きにするとアジと変わらない。
ガラタ橋
トルコ イスタンブール
1985.8.6/渡部 瞭
ガラタ橋は金角湾を横断し、新市街と旧市街とを結ぶ二階造りの橋だ。上は車道と歩道が、下には商店街と歩道があり、常に賑わっている。
満員のフェリー
トルコ イスタンブール
1985.8.6/渡部 瞭
アーサー=キッドの歌で知られるウスクダラ(トルコ語でユシュクダル)はボスポラス海峡を隔てたアジア側の住宅地だ。海峡をまたぐ有料の橋が架けられたが、フェリーの方が人気がある。
メンデレス(メアンダー)川
トルコ オルタクラル
1985.8.9/渡部 瞭
エフェソス(新約聖書にあるエペソ)に河口を持つメンデレス川は、特にこれといった特徴もない河川だが、地形学者にはよく知られている。それはこの川の別名メアンダーが蛇行のタームに用いられているからだ。
パムッカレの石灰華段丘
トルコ パムッカレ
1985.8.9/渡部 瞭
日本では秋芳洞の千枚田で見られる石灰華段丘が、トルコ南西部のパムッカレでは山腹斜面全体にわたって見られ、壮観だ。ここには温泉が湧き出し、古代ローマの遺跡もある。
ヒヨコ豆の収穫
トルコ エグリディール近郊
1985.8.10/渡部 瞭
ヒヨコ豆(チックビーン)は、エンドウに似た豆だが、葉や茎の形は明らかに違う。アナトリアの石ころだらけの畑ではちょうど収穫期を迎えていた。
キャラバンサライ
トルコ スルタンハヌ
1985.8.11/渡部 瞭
緩やかな起伏の続く古くからの街道には、ところどころにかつてのキャラバンサライ(隊商宿)が残る。多くは中庭を囲む二階造りで、二階に客室や食堂があり、一階は家畜を繋ぐ場所になっている。
ハマム
トルコ ギョレメ
1985.8.11/渡部 瞭
ハマムとは、トルコ式の蒸し風呂だ。さほど熱くないサウナといったところ。当然男女別になっていて、垢すりやマッサージのサービスがある施設もある。
ギョレメの土柱
トルコ ギョレメ
1985.8.11/渡部 瞭
火山活動による厚い凝灰岩と溶岩流の互層と乾燥気候とがカッパドキアの奇観を生み出した。これはギョレメ付近に見られるベレーをかぶった人が立っているような形の土柱。
野良に向かう人
トルコ ギョレメ
1985.8.11/渡部 瞭
イスラム教徒の多いトルコでは、アタチュルクによる近代化で、特に都市部ではチャドル姿の女性はほとんど見られないが、農村部では野良仕事に行く時でも布で姿を隠す女性が多い。
トラクターエンジンでの揚水
トルコ カイセリ近郊
1985.8.12/渡部 瞭
アナトリア高原は案外耕地化が進んでいる。夏は小麦の収穫も終わり、乾季で作物は少ないはずだが、このようにトラクターエンジンでの揚水で灌漑する畑では豊かな緑が見られた。
麦の風選
トルコ アクサライ
1985.8.12/渡部 瞭
灌漑の近代化や機械化が見られるトルコの農業だが、貧しい農村では昔ながらの方法で麦を風選する光景も見られる。
糞燃料の乾燥
トルコ アクサライ
1985.8.12/渡部 瞭
アナトリア高原では森林はほとんど見られない。こういう乾燥地では家畜の糞は貴重な燃料源だ。
トゥズ湖と塩を運ぶトラック
トルコ アンカラ州
1985.8.12/渡部 瞭
この道はE1号線。トルコからはヨーロッパ道路ナンバーが用いられている。左手は塩分濃度が高いことで有名なトゥズ湖。前のトラックはそこで採れた塩を運んでいる。

1985 東地中海海外研修旅行